ARTIST STATEMENT

なぜ作品を作るのか?

私が芸術作品を作る理由は、幼少期に物を作っていた経験が根底にある。作品を作ることで、周りの人が喜んだり、驚いたりと、自身にとってのコミュニケーション手段だったのだと思う。

東京藝術大学彫刻科の受験とその後の創作活動を通じて、古代ギリシャやローマ時代から続く、自然や人間の普遍的な美に対する藝術家のロマン、悠久なる時間が刻まれた美術の深遠な世界に触れた。本質的な美しさを求め表現することは、洋の東西を問わず、人間の根源的な欲求に直結しているのかもしれない。

藝術の存在意義とは、人間の精神を豊かにする事であると考えている。物質として存在するのみではなく、そこに見る人と関係性を持ち、感動が生まれて初めてその価値が見出される。現代においては、藝術も人の幸福に資するものでなければその存在意義は無いと思う。

「価値あるものはすべて、最後には贈り物として残るというのは全く本当です。藝術にとって他にどんな価値があるのでしょうか。」、敬愛する彫刻家イサム・ノグチが「未来への贈り物」という文章の中で述べた言葉である。これこそが藝術家の使命であると考えている。

私にとってどんな意味があるのか?

自分が信じる物は何だろうか?私はこの問いを自分自身に投げかけて来た。価値観が多様化する現代社会の中で、私は自分が信じられる居場所を作りたいと思った。私にとって作品制作は、自分との対話であり、信念であり、信念の表現である作品である。

歴史に名を残す、真の芸術作品の奥底には人や自然といった生命に対する愛があり、先天的に生まれ持った人間性を思い出させてくれる。あるいは時代を問い、人の進むべき道を表す一つの指標だ。

「作品を創るな、人間を創れ」、尊敬する萩焼の名家、十二代三輪休雪氏に頂いた言葉である。

作品制作を行うという事は、単に物を作る事ではなく、人間を磨き、そして生きた証「生き様」を世界に残し、普遍的な問いを追いかける事に他ならない。

対して、人それぞれの見方があり、自己と作品と他者の対話を通じて、価値観を鑑み、世界を広げ、人間として成長する事が出来る。いわば作品は現在の自分を映し出す鏡の様なものである。

何をテーマにつくるのか?

私は「人間と自然」「光と影」をテーマに製作を行ってきた。なぜなら、このテーマは彫刻においてとても古典的なものであり、現代の私たちを取り巻く、自然、宗教、科学、社会、生活にも密接に繋がっている普遍的な問いであるからだ。洋の東西を越えた古代の文明、ルネサンスを経て、ロダンへ受け継がれ、日本の文化と融合して現在まで続く美の本質に関わるテーマであると考えている。

物事の真の姿とは両義的で、表裏一体であり、矛盾した存在だと思っている。光があってはじめて陰が存在する様に、双方の関係は切り離すことができない。東洋の死生観では、陰陽思想に表される様に、生きて死ぬ事、善と悪、主体と客体、これらの相反する要素を一体として獲得する事が美しさの本質に迫る姿勢であると考えている。

こと彫刻においては、陰影の中の豊かさが重要であり、これは日本の陰に美を見出す文化とも通底している。「光と影と陰のつくりだすリズムに注意すること。量を掴むとは、光と陰の相互の対照から、見えない部分の立体をも把握することなのだ。」かの巨匠、ロダンが残した言葉である。

私は何かこれまで自分が感動し、制作の衝動へと導いた原点となるものを探っていた。そして、自然から学ぶ事をもう一度始めようと思った。大学3年生の夏、アメリカの国立公園を車で巡る旅に出た。目的は世界最大の自然の彫刻と言っても過言ではないグランドキャニオンだった。

私はそこで到底人間の行為の及ばない圧倒的な時空間のスケールに包み込まれる感覚を覚えた。それは自然そのもので、人間を生み出し破壊して来た大いなる循環だった。その上では自分の存在などとてもちっぽけで、自分の作って来た作品のスケールの小ささも感じた。晩年のレオナルドダヴィンチが自然の完璧さに感動し手本としていた様に、古くから藝術家は自然を観察し模倣してきた。優れた藝術の先哲たちは、皆この事を良く理解し、作品はその雄大さを湛えていたのではないだろうか。

自然と作品を対立させるのではなく、自然に一体化する作品を作る。それによって大きな魅力を増し、ダイナミックな循環の中で生命感を放ち、しなやかで強い美しさを持てるのではないか。自然の作り出したものにはいっさいの無駄がなく全てが調和をなし、生と死の循環の中にある。自然は何よりも美しい。人間もまたこの星に生まれこの大地に育まれて来た存在として自然の一部である。

長い時間をかけ、創造と破壊を繰り返しながら本質的な要素を残して行く。複雑さを持ちながらも調和を保っている。これは自然界においての秩序であり、この世界の真理である様に感じる。藝術の創造行為とは、本質的に人知による把握を越えたところにある自然の姿を、人間の認識に向けて適切に翻訳することなのかもしれない。

何を目指すのか?

美術は元々、人の生活と供に存在していた。しかし、時代の変遷とともに細分化し分離されて来た。歴史上優れた藝術文化が生み出されたルネサンスは14世紀にイタリアで始まり、古代文化を理想とし、それを復興させつつ新しい文化を生み出そうとする、社会の転換期に起った革新的な文化運動であった。諸分野と一体となって人間の社会が発展した時代には、現代の日本に欠落した要素を学ぶヒントがあるのではないだろうか。

日本人は、古来から自然に対する畏敬の念と調和を重んじ、庭園、建築、絵画、彫刻、工芸、食、所作に至るまで、総合的な美の価値観を生み出してきた。茶道の世界に見る「侘び・寂び」は、この様な日本人の精神性を具現化した美意識の一つである。日本ならではの美意識は、かつて生活の中にまで浸透していた完成度の高い総合藝術ではないだろうか。生活と藝術を分離するのではなく、むしろ総合していく時代が望まれる。

私は日本人である以上、日本に古来から伝わる宇宙観、自然観、美意識を大切にしながら、人間の深層に流れる普遍的な美に対する共通感覚を作品の上に実現していきたい。

現代において流動し早いスパンで変化し続ける都市や人のライフスタイル。しかし、それとは異なり悠々と古代から流れる大きな時間の中で、ゆっくりと自己と向き合い対峙する事で、人間が本来持っている美意識を取り戻す事が出来るのではないかと考えている。藝術が現代の社会において存在意義を果たすならば、この様な豊かな時間・空間を作り出す事だと言えるのではないだろうか。